2021-03-16 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
渋沢栄一の「論語と算盤」というのがやはり政治にも必要だと思っていますので、処理水問題、なぜ進まないかといったら、国内でもトリチウム水というのは排出されているんです。でも、なぜ福島の方がのみ込めないかといったら、もう既に抱え切れないほどの痛み抱えているからだと思うんですね。例えば、生理食塩水を私たちの肌の上に垂らしたって何も痛くないです。
渋沢栄一の「論語と算盤」というのがやはり政治にも必要だと思っていますので、処理水問題、なぜ進まないかといったら、国内でもトリチウム水というのは排出されているんです。でも、なぜ福島の方がのみ込めないかといったら、もう既に抱え切れないほどの痛み抱えているからだと思うんですね。例えば、生理食塩水を私たちの肌の上に垂らしたって何も痛くないです。
書店では、我が国における近代資本主義の父と言われる渋沢栄一に関する書籍が並べられ、「論語と算盤」など、渋沢に関する書籍がベストセラーの上位をにぎわせています。言うまでもなく、渋沢は近代日本をつくる上で大きな役割を果たした人物の一人ですが、その渋沢と同時代に我が国の近代国家の基礎をつくったのが一円切手の肖像でも知られる前島密という人物でした。
この渋沢栄一の談話録である「論語と算盤」という本がありまして、これは私、学生のときからの座右の書であります。論語、つまり倫理観と、そろばん、経済というのは、共に運用してこそ大きな価値が生まれるという、本当に大切な指針、今後のポストコロナの時代の経済政策の指針となる本だと思います。
渋沢栄一の「論語と算盤」の中に次のような一文があります。個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ。国家戦略特区諮問会議の議長である総理と国家戦略特区諮問会議ワーキンググループの皆さんに真摯に受けとめてほしい言葉であります。 安倍内閣は、憲政史上最長記録を狙う長期政権ですが、見るべき成果は何もありません。
この前、一万円札が新しくなるという中で、渋沢栄一さんの、今度、肖像画が使われるということで、きょうは、牧原委員長もそうですし、田中副大臣もそうですし、埼玉県関係者が、ほかにもいらっしゃいますけれども、多いものですから、やはり「論語と算盤」ということで、単に経済的なものがよければいいだろう、お金が稼げればいいだろうということでなくて、やはりどういうふうにお金を稼ぐのかということが非常に大事になってくると
そういう中におきまして、私はよく瑞穂の国の資本主義ということを申し上げているところでございますが、日本資本主義の父と言われている明治の実業家の渋沢栄一も「論語と算盤」という著書があるわけでありまして、今委員がおっしゃったように、経済的な豊かさと精神的な豊かさと規律のバランスが大切だということを述べておられるんだろうと思います。
「論語と算盤」という有名な話があるんですが、その一説をちょっと読ませていただきます。 富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。論語とそろばんは両立する。 こういうことであります。 最も重んずるべきは信である。信を守らねばたちまち失敗する。知、情、意の三者が権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だと考える。
近江商人の三方よしの精神や渋沢栄一の「論語と算盤」という考え方が、我が国の企業に高い倫理性を持たせ、社会との共存を前提とし、持続的成長を可能とする企業文化を根付かせてきました。シュンペーターの言う創造的破壊だけがイノベーションではありません。私は、こうした先人に学び、日本の良さを生かした発展的創造としてのイノベーションを実現していきたいと考えています。
近江商人の三方よしの精神や、渋沢栄一の「論語と算盤」という考え方が、我が国の企業に高い倫理性を持たせ、社会との共存を前提とし、持続的成長を可能とする企業文化を根づかせてきました。シュンペーターの言う創造的破壊だけがイノベーションではありません。私は、こうした先人に学び、日本のよさを生かした発展的創造としてのイノベーションを実現していきたいと考えています。
きのうもどこかの夕刊紙のコラムで渋沢栄一の「論語と算盤」というのが出ておりましたし、会社経営とか資本主義の質そのものが、そういう部分が日本のいいところとしてあると思います。 ただ、私が余りこれを強調すると、日本の医療みたいなのになってしまうと思います。
資本主義の草創期には、やはり一つのストイシズムとかいいますか、プロテスタンティズムといいますか、日本でも、渋沢栄一が「論語と算盤」とか、戦後、出光石油の店主が多くの従業員を抱えて引き揚げてきたと、一人も解雇しないとか、それから土光さんが陋屋に住みながら目刺しで生活をされたとかいう経営者のモラルといいますか、そういう気高さといいますもの、これが、すぐ日本が言ったからできるものではありませんが、新しい哲学
経済界では渋沢栄一、渋沢栄一は「論語と算盤」という本を書いていますね。やっぱりそこに一つの規範といいますもの、渋沢栄一が立ち上げました東京商工会議所の倫理綱領というのにはそれがちゃんと書いてあるということでございます。
これでは、目先の利益を追い求める余り、日本資本主義の父、渋沢栄一が論語の道徳思想に基づいて経営方針を立てたという「論語と算盤」の精神を放棄してしまったのではないでしょうか、日本は。 周知のとおり、そもそも経済という言葉は、経国済民に由来します。すなわち、国を治め、人民を救うという意味であります。
最後になりますが、我が国資本主義の父、渋沢栄一は、「論語と算盤」という分かりやすい例えをもって企業経営におけるモラルの重要性を訴えました。 会社は、単に金もうけの道具ではありません。株主、経営者、従業員が一体となった社会的実在であります。
その中で、前の武村大蔵大臣に対して激しく批判をしておられるわけでありますけれども、昔の明治憲法下の官僚は「右手に算盤、左手に論語」を持って頑張ったということを言っていまして、みずからを厳しく律しながら国家国民のために頑張っておる。最近はどうだ。「右手に権力、左手に私欲」、これは非常に残念だと思いますね。
としており、その点が決算の早期提出の支障になっているのかどうかについて、当時の宮澤総理からは、財政法は決算を常会以前に提出することを別に禁じているところではないとの御答弁をいただいておりますが、そうであるとするなら、私は、現行の財政法が制定された算盤の時代から今日のコンピューター処理への大きな状況変化を踏まえて、決算の早期提出、例えば秋の臨時国会あるいは十月末までの提出を内閣は具体的に検討すべき時期
「算盤は算数の才能を伸ばすのに本当に有効か。それから、コンピュータ時代になっても算盤の存在価値はあるのか。」こういうふうに聞いておられまして、それに広中さんがいろいろ答えていらっしゃる。これは一つの教育を見る意味でなかなかおもしろい問答になっておるのです。これを総理はどう思っていらっしゃるか。
この表でごらんになりましたように、特許の「二ツ駒算盤」あるのは「カウント輪尺」と書いてございます。特許番号、出願番号が参りましてからは、私は、現物を見せて、私が出しているのはこれでございますと、こうして審査官にお見せしました。
これは東京都千代田区神田旭町十一番地に設立された、トモヱ算盤ビルの四階、ここに写真がございますけれども、この、ほかの事務所に同居していたものであって、机一つの会社で、公団との取引が済むと閉鎖してしまって、現在は登記上の本店所在地に同社はない。そこで登記上の本店所在地はどこというふうに認定されておりますか。
○藤野繁雄君 それから実施要綱の第八条でございますね、第八条には「取引室においてする取引方法は、公開による枝肉売とし、取引当事者の取引価格の意志表示は、算盤を使用して行なうものとする。」と書いてある。